旅立ち

日曜日の朝、じいさんが亡くなった・・・・


月曜日にお通夜、そして火曜日に告別式を無事に終える事ができた。
雨と寒さで最悪のコンディションだった東京マラソンの次の日って事もあり、月曜日はたくさん予約ももらっていたんだけど・・・・お断りしてしまった皆さん本当にスイマセンでした。


92歳!!!(来月には93歳になるはずだった・・・・)
まわりは皆、大往生っていうけど、本当にそうなのかな。まだまだ生きたかったのかな。もう少し生きれたのかな・・・とも思うけど、じいさんは穏やかな顔して静かに息をひきとった。



一昨年の夏に、ばあさんが体調を崩し入院した。それまでは多少、脳梗塞の後遺症はあったものの、ピンピンしていたじいさんが途端におかしくなった。3ヶ月もしないうちに寝たきりになった。それからほとんど時間を病院のベットの上で過ごす事になってしまったけど、最期は、ばあさんと同じ病院で迎える事ができた。


息をひきとる朝のこと。
枕元に車椅子で、ばあさんを連れてくる事ができたらしい。もう僕の事が誰なのかも分からないばあさんに、この状況が理解できているのかはわからないけど、最近あまり声が出る事もなくなっていたばあさんが珍しく笑顔を見せた。何か伝わったのかな。本当に仲のいい夫婦だったから・・・





通夜告別式で、たくさんの親戚の方々と話が出来た。なんせうちは親戚が多い++++初めて会う様な人もいたけど、今まで全く知らなかったじいさんの歴史を感じる事ができた。あまり口数も多くなく、決して社交的とは言えないじいさんは本当に働き者だったみたい。


このくらいの年齢になってしまえば、直接関わりのあった友達や兄弟などはほとんどが亡くなっている。それでも、たくさんの人たちがじいさんとのお別れに来てくれた。寡黙な頑固者のじいさんは、たくさんの人に愛されていた。そしてたくさんの人の人生に影響を与えている様だった。



それから贈られてくる花や電報。駆けつけてくれた方々の話を聞いて、じいさん自慢の一人娘がやってる仕事は誰でも出来る様な事じゃないんだってことも実感できた・・・近所にたくさんの親戚も住んでいるし、親父を含め、たくさんの人に助けてもらってる。それでも一人娘の兄弟のいない母は大変だったと思う。悲しいとか感じている暇もなかったんじゃないだろうか・・・


母が仕事をしていた事もあり、僕は小さい頃から、じいさん、ばあさんと過ごす時間が多かった。今の仕事をする様になってからも月に2回くらいは、家まで2人の様子を診に行って指圧をしていた。一般的なおじいちゃんおばあちゃんと孫の距離感よりはだいぶ近い様な気がする。そんな僕も、昨日一昨日は気も張ってたんで、実感があまりなかった。でも今、こうして落ち着いてブログを書いていると感情もこみ上げてくる。まだこれからやらなきゃならない事もたくさんあるし、ばあさんの事もある。何も終わった訳じゃないけど、じいさんは無事におくる事ができた。


母へ〜お疲れさま。とりあえず少しゆっくり休んでくれ!